あま市 七宝焼アートヴィレッジ
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七宝だより

新着資料「中国の七宝」

底面に清の康煕帝(1661~1722在位)の年代のものと表示された七宝です。
日本の七宝に比べてかなり重く、見た感じも重厚感があります。

展示室お客様ノートより18

「最近伝統工芸品について興味を持つようにまったので来ました。あま市にはあまり特産物などないと思っていたのですが、七宝アートヴィレッジを訪れ、実際に作品を見て、特産品があることを知りました。いつか七宝焼の魅力を多くの人に知ってもらえるよう、大学生になったらSNS等を通じて伝えていきたいです。(あま市)Sさま」文面からするとまだ学生さんですね。ご自分がお住いのあま市の特産品、七宝焼をぜひ胸を張って紹介していただきたいです。

展示室お客様ノートより17

「美術、芸術鑑賞が趣味でここにいつの日か伺いたいと6年前から考えていました。コロナ禍延び延びになっていましたが本日伺い、想像を超える内容で伺ってよかったと思いました。仕事をがんばってまた伺います。(福岡県)さま。遠い所から足を運んでいただきありがとうございました。次においでになった時にもご満足いただけるよう、展示内容を吟味していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

新着資料「七宝盆」

鉄製の盆型の素地に一部七宝が施されている。銅板と違い、鉄製の素地に七宝を施したものは珍しい。大正から昭和のころにつくられたものと推測されている。

万博出品裏話?

写真上は出品目録更正願として、1989(明治22)年のパリ万国博へ出品予定だった七宝作品の変更を役所に願い出た書類。変更理由として「焼損」を挙げているが、ほぼ同じ文面でほかにも多くの窯元が提出していることから、ほぼ定型化された文章だということがわかる。これが七宝製品の作製にあたって失敗が多かったことの証とみるか、当初提出した出品予定がその後変更されることが日常的だったのかは不明。

尾張七宝の継承者 塚本貝助

林庄五郎自身は七宝を完全な形にすることができませんでしたが、彼から教えを受けた人々がやがて尾張七宝の技術を完全な形へと導きました。その中心的な役割を果たしたのが、遠島の塚本貝助、林小傳治といった人です。地元に根付いて七宝業を営んだ林小傳治と異なり、塚本貝助は早いうちから身内を連れて東京へ出ます。現在も残る東京赤坂の迎賓館にある七宝の花鳥額の数々は、涛川惣助工房に所属した塚本貝助を中心とした尾張の職人集団が制作にあたりました。

尾張七宝発展のきっかけ 林庄五郎

尾張七宝の開祖といわれるのは梶常吉ですが、その尾張七宝の技を広めたのは、遠島村(現あま市七宝町遠島)の林庄五郎(一八三五~一八九六)でした。庄五郎は安政3(一八五六)年に梶常吉より七宝製法を伝授されましたが、これは、完全なものではありませんでした。氏はこれを完成したものにするべく日夜努めました。しかし、林庄五郎自身は七宝を完成させるところに至ることができないまま、失意のうちに、名古屋で生を閉じることとなりました。現在、庄五郎がつくった試作品が残されています。

ただし、庄五郎がその技術を伝えた塚本貝助など、遠島村の後継者らによって七宝製作技術は完成して、この地は七宝の一大産地となりました。こうした庄五郎の功績をたたえて、昭和37(一九六二)年に、七宝組合らの手によって林庄五郎顕彰碑が遠島八幡社境内に建立されました。

 

林庄五郎試作品

資料解説 七宝資料集14 日本七宝発達史への取り組み

この資料集では、資料集11で取り上げた七宝技術研究会が昭和20年代終わりに実施して中断された、「日本七宝発達史」の編集進行状況の顛末を解説しています。

七宝少女4省胎七宝

七宝少女3泥七宝

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