2021年10月01日
林庄五郎自身は七宝を完全な形にすることができませんでしたが、彼から教えを受けた人々がやがて尾張七宝の技術を完全な形へと導きました。その中心的な役割を果たしたのが、遠島の塚本貝助、林小傳治といった人です。地元に根付いて七宝業を営んだ林小傳治と異なり、塚本貝助は早いうちから身内を連れて東京へ出ます。現在も残る東京赤坂の迎賓館にある七宝の花鳥額の数々は、涛川惣助工房に所属した塚本貝助を中心とした尾張の職人集団が制作にあたりました。