槌起桜柳文花瓶

大正

槌起桜柳文花瓶

この作品は槌起(ついき)七宝(しっぽう)という技法で作られているものです。槌起七宝とは素地になる金属の表面部分を文様の形になるように槌などで立体的に打ち出して、その部分に七宝釉薬をさして焼いたものです。表面に柳の木と桜の花が描かれているこの花瓶は別名「都の春花瓶」とも呼ばれたものです。
これは大正12年(1923)の関東大震災で大きな被害にあった東京市(現在の東京都)が昭和8年(1933)に復興祭を開催するにあたって、記念品として作られたもので、花瓶の背の部分には俳人でもあった当時の東京市長永田秀次郎(青嵐)の句も刻まれています。

■ここがみどころ

槌起七宝は、1928年(昭和3年)に安藤七宝店東京支店の責任者であった安藤善親の発明によるものです。
記録では、実用化され製品が作られるまでに二年かかっており、当時としてはまだ誕生して間もない技術でした。